レッズ・エララ神話体系エピソード蒐集ブログ

ようこそ。この世界の名はレッズ・エララといいます。はじまりから終わりまで、一緒に楽しみましょう。

第3回 Q&Aコーナー

先日、ホームページで新作まんが「Port Sacevo,Phantasmagoria」をupしました。

redselrla.com

これは現代/近未来篇「ほうき星町」シリーズ外伝「蒼の世紀」のお話です。成長した竜胆ミズとその相方のエンジニア少女・ペコの百合デート少女漫画です。ちなみに、noteやpixivにも投稿しております。

note.com

www.pixiv.net

そしてレッズ・エララの連ツイ小説&告知用ついったーにも本文を投下しました。そこで年始のご挨拶と共に頂いたご感想で、次のようなことばがありました。

 

「照れる最強、良き」

 

この「照れ」ているのは竜胆ミズです。作中でペコの「恋の威力」に触れ、とても照れております。お読み頂いて有難うございます。

そして読者の方が表現された「最強」というのもミズのことです。さて、ここでレッズ・エララ的にQ&Aが成り立ちます。

 

質問(Q)「竜胆ミズはレッズ・エララ世界の最強足り得るのでしょうか?」
回答(A)「それは完全にあり得ないが、この質問自体が面白すぎる」

 

大前提としてまずお話しますと、読者の方が誤読していて困る、という話ではございません。ましてや誤読っぷりを作者たる私・残響が面白がっているという訳はありません。もしそう受け取られていたら申し訳ないです。

というのも(常連さん向けトーク)、レッズ・エララの世界的に「世界最強」って今まで決まりきっていたじゃないですか。中世においては【剣聖】時雨・紙折・シュトフィール。現代においては「神討ち」共…セリゼ・ユーイルトットや剣崎月読といった面々。

でも、漫画作品「Port Sacevo〜」内では、こういう説明描写は一切されていませんからね。ここ最近の漫画作品群だけでは、レッズ・エララの最強存在って単純に分かりづらいと思います。世界観の事前情報説明が漫画作品ではされていないので、まんがだけだと「最強の力(【消去】の能力)を持つ」ミズが「最強」、と読解されるのも自然なのですよ。いやもう20年近くレッズ・エララをやっていると、この最強をめぐるくだりって自分の中で当たり前になっているから、改めてこうご指摘をいただくと新鮮な驚きがあります。本当に。

 

さて。レッズ・エララにおけるこの「世界最強」を巡るお話って、少なくとも作者にとってはとても面白い、興味深いものなのです。

まず、読者さんが「竜胆ミズは最強なのだろうな」と読解されたこと、これは漫画作者として「成功した」と判断出来ることです。というのもこの漫画作品は「ミズが強キャラの風格を出している」と読み手に認識されなかったら、そもそも成り立たない話だからです。この強キャラ感からの上記「照れ」への落差が作劇上のギミックとして導入しておりますから。

そしてミズは「強キャラ」ではありますが、「最強」ではありません。「天才」でもありません。魔導においては中世のエヴィル、膂力と魔力の絶対量においては義母・セリゼ、武術においてもキギフィに絶対に及ばないのが竜胆ミズです。彼女は天才ではありません。ただ、生まれつき宿している「消去」の能力がひたすら「化け物」である、というのみなのです。

漫画作中でもこれは描写したのですが、その己が身の「化け物」性がこれまでどれだけの人を苦しめたか。そんな自分は虚無ではないのか、というのが、ミズが抱えている「自己否定」です。自己肯定感の虚無です。そしてミズの最大の魅力というのは、そんな化物たる自分をどうにかこうにか努力して、少しでも人間として「尊くあろうとする」意志と行動であり、周りの人間はそこからにじみ出る威風(カリスマ)を、真に貴族的な尊いものだ、と思うのです。ミズの努力は「最強になる」ことを目的としていません。義母・セリゼのようなひとを目指して「尊くあろう」とする道程にこそ目標があるのです。

そこも含めてミズが「強キャラ」であるのは当たっているのですが、「最強」ではないのです。ミズの持っている能力はレッズ・エララ最強の能力ですが、彼女自身がその能力を愛していない。ミズは【消去】の力を「たまたま持っているだけに過ぎない」と考えています。そしてそれは主観的にも客観的にも事実で正しいのです。

 

もし。もし、ミズが【消去】の能力のエキスパート足らんとして、自らの意志でもって世界の破壊者…「消去者」と成ろうとし、闇の努力を重ねてきた世界線のミズであれば、ひょっとしたら「神討ち」レベルの世界最強クラスに成れたのか……?は、ワンチャンあり得るのかもなぁ、くらいの可能性です。

そして、その世界線に行き着く可能性は確実にありました。ほうき星町にやってきた(来襲)時の、世界と自分自身に絶望していた幼少時のミズのことです(BGM:ガールイズディサピア)

youtu.be

(「ガールイズディサピア」は3曲目)

しかしミズはセリゼの養女になることを選びました。世界の敵になる世界線を選ばなかったのです。自らの内に薄暗いものを宿しながらですが、それでもそんな自分を克己していこうとする茨の道の世界線です。

ミズにとって「世界最強」であることは意味がありません。己に勝ち、人を愛そうと努めることことこそが大事なのです。

さらに言うと、幼少期ミズを煮詰めた「世界の敵」「破壊者、消去者」のミズであったとしても、本当に世界最強になれるのかいな?という疑問が残ったりします。本気で殺意と暴力を煮詰めた権化といえるセリゼでもって、ようやく世界最強の冠を頂ける、というのがレッズ・エララという世界です。そして実はセリゼも、世界最強に成ろうとして成ったクチではないのです。これ以上はレッズ・エララにおける「狂気、妄執とは何か?」という別のQ&Aになってしまうのでここでは控えますが、少なくとも「世界最強」なのは現代ではセリゼなのです。それほどまでレッズ・エララにおける狂気、妄執というのは、致命的に重要な要素なのです。

「論理を越えて、狂気と妄執によって行動を起こし続ければ、何かには必ずなるよ……、ただし、貴方が望んだものドンズバとは限らないけどね……」

それがレッズ・エララ神話体系です。

 

結局ミズの「消去」の能力も同じで、ミズが望んで得た能力ではございません。生まれつき「お前はこうだから」と設定されたものです。全ては神々(あいつら)が悪い。ちなみに、ミズは神も消せます。そりゃあ、レッズ・エララの消しゴム機能として搭載したんですからねぇ。神々もまたレッズ・エララの上で存在している以上、そりゃそうですよ。やっぱあいつら(神々)が悪い。ミズはあいつら殴って良い。

意志の力、というよりは…陳腐な言い方になってしまいますが、人生観の問題ですね。ミズは「消さない」人生を選びました。いろんな物事をよく知って、世界と人生の解像度を上げて楽しんでいこう、という人生観です。

レッズ・エララにおける「強さ」ってかなり意志によって左右されます。意志の極点が狂気であり、妄執でもある、という話ですね。そもそもレッズ・エララ世界自体が、崩壊時空で狂った18柱の神々の妄想の具現化から始まったものですから、そりゃそうだ、というか。で、自分の能力(ちから)に自身で納得出来るか、っていうのも大事なファクターです。納得しきれなかったら、その分弱さを抱えるのも道理です。最強を目指すのに、苦労苦心しまくるだけでは到底たどり着けない、という残酷な面もあります。あらゆる修行の残酷さと申しますか。楽しむだけでは足りない。苦しむだけでも足りない。じゃあ狂気って何ですか? やっぱりここではちょっとこのことはQ&Aとしてズレますねw

 

まとめますと、ミズは強キャラではありますが、最強ではありません。もしかしたら最強に成り得た未来もワンチャンあったのかもしれませんが、そんなにレッズ・エララ(の狂気)は甘くはありません。それよりもミズが「尊くありたい」と目指す生き方そのものの方が、世界最強よりも強く、輝いて見える…と、作中の周囲の人々、例えばペコは、そう確信しているわけです。

例えば、ミズはいつもペコとイチャイチャして、あたかもヒモ的なムーヴをする飄々とした魔女として空中都市で通っております。「ミズ働け」というのは空中都市の鉄板ジョークです。しかし、そういう文脈を知らずにミズのことを侮る奴が居たら、空中都市の連中は総出でキレる。そのくらいのカリスマは当然ミズにあるわけです。

外伝「蒼の世紀」では、そんな次世代の輝きの尊さを描ければ良いなぁ、と思っております。

 

【謝意】音楽・ノベルゲームブログ「Nothing is difficult to those who have the will.」管理人・カナリヤさん、ありがとうございます。